良いか悪いか、相手にどう思われるか。
それを気にせず、思うままに話すことありますか?
よくサロンでするたとえ話です。

買い物に行ったら店員さんの対応が悪くてイラッとしたとします。すると「この人も疲れてるのかも」「私が何かしたのかもしれない」「私が気にしすぎ」というように考えませんか?

本当はそんなつもりはないんだなって考えるかな。イライラしたら嫌な気持ちになるし。それに、そんなことにイラつく自分に心が狭いなと思うのも嫌だし。
こんな風に相手を理解しようとすることって多いと思います。

でも、もうイラッとしちゃった事実は消せないですよね(笑)イラッとすることは嫌なことですか?

確かに。でも、普通、みんな嫌ですよね?イラッとしなくていいならしたくないです。
私もイラッとするの嫌だなぁと思います。
だけど、「きっと、そんなつもりなかったんだよ」と、相手を理解しようとしたのと同じように、イラっとしたり嫌だなって思ったことも事実。
イラッとした感情を相手にぶつけてくださいということではなく「私は嫌だと思った」という事実を認めてあげて欲しいということです。
「相手を理解する気持ち」「嫌な気持ちになった」両方が存在するということです。
日常で起こる小さな出来事に対しての反応は、その時の感情や状況に関係なく、無意識の”当たり前”から起こります。
小さなネガティブな感情も、積もれば矛先は自分に向き攻撃する材料にもなりますし、そして自律神経を乱すことだって珍しくありません。
そんな感情が体を変えてしまうなんて想像もできないかもしれませんね。
事実が正しいかどうかは関係なく、自分で自分を責めることはとてもつらいものです。

日常を前向きに過ごすことが良いことで、ネガティブなことを考えるのはいけないこと。なぜ、そう思うのでしょう。ネガティブなことを考えた自分も本当の自分です。実際、考えた事実をなかったことにはできませんよね。考えないようにしようと努力するのもアリですが、ネガティブなことを考えた自分を責めるより、受け入れてしまった方が楽だし先に進むのも早いと思うんです。
避けたい感情を頭で何とかしようとすると「思考の癖」から抜け出せず、いつものパターンを繰り返します。
つらいのって、ネガティブな出来事ではなく、「そのパターンの自分」ではないでしょうか。
だったら、ネガティブな感情にフォーカスして、違ったパターンを見つけて欲しいと思っています。
うまく言葉に出来なくてもいいんです。
むしろ、上手く話そう伝えようとせず、浮かんだ言葉をただ出すだけで、考えてもなかった言葉が浮かんできます。

思考の癖や思い込みで決めていることも多いんです。
不安スィッチを押すような「◯◯でないと××になりますよ」というような言葉を耳にすると、「自分は◯◯じゃないから××になるかもしれない」と不安になります。
また、自分と誰かを比べて、「自分はできないからダメだな」ということもよくあります。
不安になってもいいし、ダメだと思ってもいい。これも自分ですから。
もう一つ、自分は本当にそうなの?と、少し違う角度からも見て欲しいです。
「そんな風に考えたことなかったです」
そう思ったら、枠はもう広がりはじめています。
食べ過ぎと思っても、具体的に細かく聞いてみると「そうでもなかった」
便秘だと思っても、生活習慣を聞いてみると「便秘とは言わない」
体だって、「え、違うんですか?」って事は多いものです。
無意識の思い込みは、体にもたくさんあります。
大切なのは、良い悪いではなく「それに気づく」ことです。
何をしても体の症状が変わらないなら、ご自分の気持ちにフォーカスしてみてはいかがでしょう。
自分の気持ちとは、善悪とは別に「本当はこう思っている」というものです。
何年も便秘で困っていたり、ぐっすり寝た気がしないといった症状が改善された方もいらっしゃいます。
こうやって、心と体は繋がっていくと思っています。