我が家のチワワ♂ラックは家族の癒し。

模試の結果が悪くて私に怒られた娘は「ママに受験するって決めたの誰なの!!って怒られたよ〜」と泣いて話しを聞いてもらっていたし、在宅勤務の時の夫は、書斎のドアを開けてラックを見えるところに座らせている。本人は違うっていうかもだけど、あれは寂しいんだわね。

一番懐かれているであろう私は、一緒にゴロっと横になり撫でてると頭が空っぽになりリラックス。それは、もはや瞑想レベル。

そんなこんなで、動物たちは、私たちを救ったり癒してくれる存在なんだと思います。

「買う」と「飼う」

その愛犬ラックは、お金を出して近所のブリーダーさんから買い我が家にやってきた。「出会っちゃった」ってやつ。ちょうどクリスマス前で、値段が高くなってると言われたのを覚えています。

2年前から保護猫の活動をしてる団体を支援しているのですが、時々、ふっと考えることがあります。
考えるっていうか自問自答かな。

残りの命がわずか7日間と知らずに保健所に捕獲されていく犬猫は、その7日間を狭い小屋の中で過ごした後に虹の橋を渡っていく。

もし、自分の余命がたった7日間だったら?
もし、その7日を狭い小屋の中だけで過ごすとしたら?

自分に置き換えたら、言葉がない。
胸がぎゅっと痛くなる。

当たり前だけど、動物だって野良になりたいわけじゃない。ほとんどの野良ちゃんたちは、人間の都合でそうなったわけなのですよ。
当たり前だけど、人間は売らないでしょ?人はダメで動物はいいのか?

ペットショップに並んでいる動物たちを見ると複雑です。それは、我が家も命をお金で買ったという罪悪感でしょうかね。

以前は、子供のようにペットに接する人の気持ちは理解できないなーと思っていたけど、まさに子供なのだ。子供のお世話、するよね。

そんな個人的な思い、こんな感じで一人ぐるぐる会話します。

できることは、ささやかだけど。

少し話がそれるけど、私には癌の再発を繰り返す家族のような友人がいる。

彼女の病気を知ったとき、私は身体にいいものや「こんな治療もあるらしい」をたくさん提案した。
生きてて欲しいからね。

「生きることにもっと貪欲になってよ!」今思えば大きなお世話なことをよくもまぁ言ってたもんだ。

でも、本当に彼女のためを思うなら、”ささやかなこと”でよかったんですよね。

彼女とご飯を食べたり、車の中で大笑いしたり、LINEでニヤニヤやり取りしていると、笑い声を抑えるのが大変。そういうとき彼女は「ありがとう、体温上がったわ〜免疫力が上がったわ〜」と冗談めかしていってくれる。

この「ありがとう」は、彼女の役に立ててるんだと実感させてくれ、またやる気になる。(反省を踏まえてね)
誰かの役に立てた実感というのは、また新しい力を与えてくれるのかもしれない。

浮き沈みの激しい私は、「私が満たされてどうする!」「私が満足したいだけじゃないか!」と思うこともあって勝手に凹むのだけど、彼女が生きてくれるなら、自己満でもなんでもいっかと急浮上する。

身近な人が病気になったり落ち込んでいるなら元気になって欲しい、命が危ぶまれるなら生きてほしいって思うじゃない。

買うことが悪い、保護された動物を飼おうねって言いたいわけじゃない。

人と動物を区別するのではなく、人の命を大切にするように、同じように大切に動物のいのちもつなぎたい。

ペットに出会う入口は違っても、動物の命も人間と同じように大切にしませんか?できることで命をつなぎませんか?
知ること興味を持つことからつなぐ一歩を始めませんか?って。

ねこ達のために「動く人たち」の力になりたい

沖縄で飲食店を営んでいた友人は、10年近く保護猫活動を一人でしていた。
私は、年に数回行っては「かわいい〜」と猫をあやすだけで、中身に全く興味を持っていなかった。ペットショップで「かわいい」っていうのと同じだね(汗)

あるとき、忙しい彼女が「悪いけど、この子病院に連れってってもらえる?」と、なんの躊躇もなく万札を渡してきた。まだラックがきていない頃だったから「動物病院って高いのね」と思ったものだ。

それなのに、シングルマザーでもある彼女のその姿は衝撃的で、益々惚れてしまったわけだけど、その時はじめて動物保護の奥をのぞいた感じだった。「お金でそれを知ったのかよ…」と、自分でも恥ずかしくなる事実でもある。

それから数年後、同じように活動してる人たちとNPOを立ち上げたと彼女に聞いたときも、尊敬はしてもやっぱり外野目線だった。私にはできないけどすごいなー、って違う世界の人を見るようなあの感じ。

そして2年前、沖縄で彼女と食事に行った時、彼女がその店のオーナーと「そこにいた野良猫って、残波にいた子じゃない?」って話してるの聞いて「なんでわかるの?」と本気で驚いた。

コロナ禍真っ只中の観光地、沖縄。君たち飲食店はそれどころじゃないはず。「そこは、お店どう?助成金どう?とあるでしょ」情報交換とかさあるじゃない…

何匹いるかわからない地域の野良猫の柄まで把握してるんだよね。

そのお二人の姿を見て、「この人たち、ボランティアさんのために何かしたい」と少し思いはじめた。一緒に活動というものではなく、ねこ達のために動く人たちの力になりたい、と。

自己満と偽善

「支援してくれるなら、ひろ子ちゃんも楽しいことで支援して」

この人、何言ってんの?と思ったものの(笑)そう言われてはじまったのが月桃化粧水『RAW』
※完売しました。

もっと利益が出るものにすれば?
それって、自己満でしょ?
偽善じゃないの?

と、ごもっともな冷やかしをされることもありますが、否定的に捉えることもなく「そうなんだよね〜」と受け入れられる。ほんと、その通りだけに(笑)

そう思えるのは、誰かの役に立つことが自己満になっても、自分を肯定したいだけでも、良いことしたいだけだとしても、それで助かる人や命があるなら、それでいいよねと友人やにゃんずを通じて感じているから。

誰かに否定されることを気にして、一歩進んでは立ち止まる癖が私にはあるけれど、「考えるのめんどくさくなってきた」っていうこれまた私の癖を優先し、自己満でも偽善でも、人でも動物でもつながる命があるならそれでいいじゃんと動くことにした。

自分が誰かのために動いたことで、自分が癒されたり自分を誇らしいと思ったり。
それがまた違う何かにつながっていくのなら、自己満はあった方がいい。

そんな想いから、今度はお金の出し方を変えて、いのちを繋ぐお手伝いをと考えています。

まずは、私のように、「えー!そうなの!?」と、犬や猫、動物の現実を知ってくれる人が増えるといいなと願っています。

NPO法人 ねこと人と地域のいのちをつなぐ会