リラックスした体で考えると
それまでとは違う考え方ができたり
そう言えば…といった発見があります。
食べるのをやめたい①
仕事帰りにコンビニでスティックパンを買い、帰ると一度で全部食べてしまう。
毎日仕事が終わるとイライラして、コンビニで同じパンをたくさん買って食べちゃうんです。ダメだって思うのに帰りに買いに行くのが習慣になって、食べて後悔してます。イライラするのもやめられない自分も嫌です。
まず嫌なのは、イライラすること?コンビニパンを食べること?それをたくさん食べること?後悔すること?自分を嫌だと思うこと?どれだと思いますか?
悩みやストレスは、いくつかの問題が絡んでいるケースがほとんどです。「イライラするから食べる」というように、「○○だから○○」と、原因と結果がセットになっているパターンも多いです。
自分を嫌だって思うことかもしれません。混んでる電車の中で濡れた傘をそのままにしてる人がいたんですけど、その人のことがとても気になってしまって。そうやって勝手に細かいこと気にする自分が嫌です。
電車の中でそんなことあったら私も気になります。
ところで、毎日コンビニで買うのはパンじゃなきゃダメですか?同じスティックパンを食べるということは、そのパンが好きなのでしょうか?
言われてみればパンじゃなくてもいいんですけど習慣で同じものを買ってます。元々パンは好きですが、コンビニのそのパンが好きなわけではないです。
食べるのをやめたいということですが、やめたらどうなると思いますか?
1日のイライラが止まらなくなりそうです。
お仕事の後のパンで満たしてバランスをとっているように思いました。食べることで癒してるような。
これは提案ですが、その日食べたいパンを食べるのを試してみたらどうでしょう?それがコンビニでもいいんです。
食べていいんですか?
お仕事終わったら食べたいパンを選ぶ。止めたいではなく、食べる気満々で食べてみたらどう思うか観察してみません?食べたいパンを食べたらどうかな?程度です。
本当にやめたいのは「食べること」なの?
「ダメなのに食べてしまう」というのはよく聞くことですが、本当は「自分を責める」のが嫌なのではないでしょうか。
・わかってるのに食べてしまう意思の弱い自分
・イライラしなきゃいいのに…
・またダメだった…
たとえばですけど、イライラすることっていけないことなのでしょか?だとしたら、どうしていけないのでしょう?
「人に嫌な思いをさせてはいけない」
これは多くの方が思っていることで、社会生活を送る上では大切ですよね。
でも、イライラしたことで誰かが嫌な思いをしてると、なぜわかるのでしょう。
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「嫌な思いをさせてしまった」
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「心が狭い私」
自分自身の会話が、事実として現実かのように出来ていきます。
結局、自分が判断してるだけなのです。
喜怒哀楽という言葉があるように、理不尽な態度を人にぶつけないならイライラしてもいいかもしれません。
食べるのは止めない
帰りに好きなバン屋さんに寄って、一つだけ買うことにしました。
毎日コンビニのスティックパン1袋食べて後悔
毎日好きなパン屋で好きなパンを一つ買い満足
イライラして食べることをやめたから、当然、自分を責めることがなくなります。
後悔も満足も自分で選んだ行動の結果ですが、どちらも食べることは変わっていません。
本当にやめたかったのは、食べることではなく「イラライして食べること、自分を責めること」
そして、本当に得たかったのは、「自分を満たすこと」
それがわかったから、好きなパン屋さんに行くというプラスの発想が湧いたんでしょうね。「食べたいから食べる」と自分を満たす行動はストレスにはなりません。
どちらもイライラする状況は変わりませんが、ご自分を責めることがなくなったのは、自分を満たす行動を選べるようになったから。
このクライアントさまは、お顔の色が明るくなったのと、真っ直ぐ私の目をみて話してくれるようになりました。お腹をゆるめるだけで、ご自身の中から新しい選択肢が見つかることもあります。