サロンでよくするたとえ話です。

カラーズ飯嶋ひろ子
飯嶋ひろ子

買い物に行ったら店員さんの対応が悪くてイラッとしたとします。すると「この人も疲れてるのかも」「私が何かしたのかもしれない」「私が気にしすぎ」というように考えませんか?

クライアントさま
クライアントさま

本当はそんなつもりはないんだなって考えるかな。イライラしたら嫌な気持ちになるし。それに、そんなことにイラつく自分に心が狭いなと思うのも嫌だし。

そんな風に相手を理解しようとすることって多いと思います。その方が自分も楽だし。

カラーズ飯嶋ひろ子
飯嶋ひろ子

でも、イラッとしたのは事実ですよね。イラッとすることは嫌なことですか?

クライアントさま
クライアントさま

普通、みんな嫌ですよね?イラッとしなくていいならしたくないです。

些細なことにイラッとしないで過ごしたいですよね。

「相手はそんなつもりはなかったんだ」と理解しようとしたり、気にしすぎなんだと自分に矢印がむくこともあります。

嫌な出来事を「あ、そう」と自分に持ち込まないようにできたらなら、それに越したことはありません。

嫌な出来事をいつまでも引きずってしまうとき「なんでこんなに気になるのか」「心が狭いなぁ」と、些細な出来事ほど思ってしまいます。

すると、どんどん自分を責めたりダメだしがはじまります。
こういうのって、日常の中の小さな小さな出来事から自覚のない癖になり、そのうちに、そんなつもりがなくても矢印が自分に向いていくようになります。

お店で嫌な思いをした、イラッとしたという出来事には、
①「本当はそんなつもりなかったんだよね」という相手を理解しようとする気持ち
②「嫌な気持ちになった」という私がどう思ったのか
この両方の気持ちがあるのですが、②の存在は忘れがちです。

もしかしたら
「嫌な気持ちになりたくない」
「嫌な気持ちになってはいけない」
「イラっとしてはいけない」

そういう当たり前もあるかもしれません。

相手に怒りをぶつけるのではなく、「私は嫌な気持ちになった」という事実もみてあげてほしい。

相手が疲れてるかもしれない
何か嫌なことがあったのかもしれない
体調悪いのかもしれない
それは、「相手」の話です。

「私、嫌な気持ちになったわー」と自分の気持ちの存在を認め、善悪のジャッジもせずに「そう思った」事実だけ見る。相手がどうだったかな?はそれからです。

カラーズ飯嶋ひろ子
飯嶋ひろ子

出来事が起こったときに、「イラッとしたよねー」「嫌だったよねー」とシンプルにそれだけ。そうしてるうちに、細かいことに気にならなくなるだけじゃなく、自分がもっと楽になりますよ。おかしなこと、思ったっていいじゃないですか?って思います。

つらいのって、ネガティブな出来事ではなく、「ネガティブな自分」なのではないでしょうか。
だったら、ネガティブな感情にフォーカスして、違ったパターンを見つけて欲しいと思っています。

そのうち、そもそもネガティブってダメなのって開き直れるようになるかもしれませんね(笑)


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