2016年 自己肯定感を大切にする教育を行う、娘が通う学校で保護者向けに行われたNLP(神経言語プログラミング)「親子のコミュニケーション講座」をきっかけに、本格的に心理学を学び始めました。

自己肯定より自己否定

私は幸せだ!とはっきり思うことはないけど、不幸だとは思わない。人生こういうもんじゃない?上を見たらキリがない。

改めて考えることはないけど、そんな風に過ごしていました。

「自分を好きになれたらラクだろうな」
「本当の自分を知りたい」
「自信を持ちたい」

こんなお決まりのセリフが、ずいぶんの長いこと自分の中にあったと思います。

自分を好きになるのに手っ取り早い方法は、外見を磨くこと。
美しくなること。

そんな思いから、今の仕事に辿り着いたのかもしれません。

自己肯定感が高いとか低いとか考えたこともなく、そもそも自己肯定感なんて言葉、私にはありませんでした。

NLPを学んでいると、自己肯定感が高くなるというより、それまで「気づいていなかった自分」を直視する=向き合うことが増え、だんだん苦しくなっていきました。

カラーズ飯嶋ひろ子
飯嶋ひろ子

ダメな自分、見ないようにしていた自分まで見えてくるんですよね。好きになりたいのに、誰かのせいにしてる自分、環境を言い訳にしている自分、「こんな私」を誰かに指摘されるわけでもなく自分で見つけちゃって。

「ありのままの自分を肯定する」
「人と比べることなく、自分自信が自分を認める」

それが自己肯定感なら、真反対にいるな、私。

自己否定をさらけ出して見えたもの

40歳過ぎてるし、子供もいるし。そんな大人が泣く・怒る・場を乱す。
思い出したくない過去、忘れていた感情をわざわざ引っ張り出してきて、それを取り上げる。

悲しかった
寂しかった
惨めだった

そういう感情があったことを認めるのは、ちょと大袈裟に言えば、それまで頑張ってきた自分を否定するような気持ちになります。

人に嫌な思いをさせないようにとか、人に嫌われないようにしてるのに、感情は溢れてしまう。

普段の生活の中では、怒りやかなしみというネガティブな感情は、そのまま表に出すことはほとんどありません。それが”普通”だと思うから。

「こんなこと、言っていいの?」
「変な人と思われない?」
「嫌われない?」

いつもなら、周りを見てブレーキかけられるのに、どうしていいかわからず、泣く・怒る・乱す。
意見を求められても無視。
口を開いたかと思えば、「帰りたい」と輪を乱す。

悲しい過去を思い出し、後悔が自分を責めたり
自分でいることが嫌になりつらくなったり
誰かのせい環境のせいにする自分を責める

止めようと思っても溢れるネガティブな感情は、「どう思われるかなんて、もうどうでもいいよ」を教えてくれました。

こんな風に場を乱したら嫌われるんじゃない?と気にする自分もまだいるのに、誰とも関わりたくない、声をかけないで欲しいと思う。

「怒っている私と関わるよりハッピーな人と関わる方がいいに決まってる」

だけど、「面倒な私」の「面倒な話」を聞いてくれる人たちがいたおかげで、安心して「喜怒哀楽」すべての自分と向き合うことができました。

「大丈夫」だと思える中で安心して感情の波に乗ると、体から力が抜け「ありのままの自分」でいる実感がすごくあります。

なぜ、私は嫌なのか
なぜ、私はイライラするんだろうか

出来事に対しての見方が変わり、感情の自度運転もなくなり、とても楽になりました。
呼吸をしても、体に空気が入っていく感じさえするから不思議です。

カラーズ飯嶋ひろ子
飯嶋ひろ子

つらいことや悲しいことって何とかしたいんですよね。そのまま頭や心にあるのはもっとつらいから、抜け出す方法を探しちゃう。だけど腑に落ちる「正解」はなかなか見つからなくて。そのうちに疲れて「どうせ私は」とまた自分を否定する。私はそんなスパイラルにどハマりしていたなって思います。

本当の自分て、その時々の喜怒哀楽の感情全てが本当の自分

嬉しいのも本当
イライラするのも本当
寂しいと思うのも本当
そして、楽しい時は思い切り笑うことができるのも私です。

人の評価はその人の意見として受け取るけど、その意見をどうするかは私の自由。
相手の顔色を伺わず、自分の心地良さで選ぶことができる。

そうしているうちに、自分がどうしたいのかを考えられるようなりました。

見たくない自分を人前でさらけ出すということはとても難しいことです。
だけど、「話さないとわからない」
コミュニケーションをとる上で言葉は大切ですが、自分を知る上でも言葉にしないと分かりませんね。

テレビに出たくなかった訳

NHKさんから電話をいただいたとき、「このままではまずい」と真っ先に思いました。

正確には「このままの私ではまずい」ということ。

サロンだけの予定が、スタジオ収録にも参加することになり落ち着かない私に夫が言います。

嫌なら断ればいいじゃん。

おっしゃる通りなんだよ、、、
でも、問題はテレビに出る自分を見たくないってことなんだよ。

自分のネガティブを探ってみると自分のあるパターンに気づきました。

「私は、いつも自分のダメなところしか見ていない。」
良いところは目に入らず悪いところばかり目についてしまう。

そう気づいても、テレビとなると話は別!

子供が何か言われるんじゃないか。
自信のなさがバレてしまうんじゃないか。
誰かに何か言われるかも。

そんなカッコ悪い自分を見るのは嫌だ。

だけど、事実は一つじゃないと気づきました。
自分が思う姿も誰かの意見もそれぞれが事実だと捉える、良い悪いのジャッジをしてない自分に驚きました。

多くの方から「お会いしたかったです」と言っていただいた時、「どういう意味ですか〜」と笑ってる自分がいて楽しかったり、もちろん素直に嬉しく心から笑っていることにも気づきました。

「誰かが思う私」と「私が思う私」
両方があることは私にとって大きな変化です。

自分が喜ぶこと、本当は知っている

誰かのため何かのためを思って、自分の気持ちを後回しにすることって多いのではないでしょうか。

  • 頑張って働いてくれてるのだから、不満なんて持っちゃいけない。
  • お母さんはいい人って思われないと。
  • いつも元気なお母さんでいないと。
  • 人を嫌な気持ちにさせちゃダメ。

こういう「ねばならない」って、決めてるのは自分なのですが、「〜でなければいけない」「〜したい、〜でいたい」に変えると、ネガティブな制限はポジティブな欲しい姿に変わります。

  • ありがとうって思いたい。
  • いい人って思われたい。
  • 元気なお母さんでいたい。
  • 人を幸せにしたい。

ただそれだけの違いなので、「ねばならない」って持っていていいし、手放してもいい。

ポジティブかネガティブか、どっちも本当の自分です。
それだって、どっちでもいいんですけど(笑)

結局のところ、「今」そのものが本当の自分なのではないでしょうか。

今、何が楽しい?心地よい?
それを探り感じることが、私の喜びです。

もし、自分がつらい時があるのなら、一緒に向き合ってみませんか?
ちゃんと話そうと思わなくて大丈夫、そのままの気持ちを出して、一緒に紐解きましょう。